神の言葉をうけたなら
「さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言う べきことを教えよう。」出4:12
Josh.1:1 主のしもべモーセの死後、主はモーセの従者、ヌンの 子ヨシュアに告げられた。 Josh. 1:2 「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこ の民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエ ルの子らに与えようとしている地に行け。
Josh. 1:3 わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足 の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えてい る。 Josh. 1:4 あなたがたの領土は荒野からあのレバノン、そして あの大河ユーフラテス川まで、ヒッタイト人の全土、日の入る方 の大海までとなる。
Josh. 1:5 あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立 ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、 あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨 てない。
Josh. 1:6 強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖た ちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならな いからだ。 Josh. 1:7 ただ強くあれ。雄々しくあれ。わたしのしもべモー セがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。これ を離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところ どこででも、あなたが栄えるためである。
Josh. 1:8 このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜 もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り
行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄 し、そのとき、あなたは栄えるからである。 Josh. 1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。 雄々しくあれ 。恐れてはならない。おののいてはならない。あ なたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたととも におられるのだから。」
テーマ:神のことば・約束を握って
・神に頼り、み言葉にしたがいう決断 青年1:イスラエルの民を導いたモーセとヨシュアから学ぶ
モーセが死に、イスラエルの民を導く大きな責任をヨシュアは 与えられました。ヨシュアは若い頃から多くのことを 「モーセの姿から学んだ」といえます。
a.それぞれが自ら神に頼り、導かれていた ・モーセとヨシュアの共通点は、 「彼ら自身が神のことばに導かれていた」ということです。 「彼ら自身が神に導かれ」ることによって、イスラエルの民 を導くことができたのです。
1:1主のしもべモーセの死後、 主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げられた。
2.神の大きな命令(与えられた召し---チャレンジ)
a.再び立ち上がり進め
※Josh1:2 「わたしのしもべモーセは死んだ。 今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り 、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。
モーセからヨシュアにリーダーが移行された。
「立って、渡って、行け」この命令は大きなチャレンジ で、 それは40年前に(イスラエルの)民の不信仰の罪によって保留に なっていた約束の地に入る計画が再スタートしたことを意味した。
イスラエルの民は民数記1:46を見ると20歳以上の男子の数は 六十万三千五百五十人、「民全体では約200万人」 ほどだったと言われています。 立ち上がらせるだけでも非常に困難だった。 その民は非常に頑固で、文句が多い民でした。
それに加えて時期もよくありませんでした。 彼らはヨルダン川を渡る必要がありましたが、 この時は借り入れ時で、 どこの川にも水があふれていたのです。3:15
しかし、ヨシュアは民を3日の後に出発させました。
※これは、大きな決断で、
ヨシュアが主のことばに 信頼して行動していたことがよくわかる。
・私たちも信仰を持って立ち上がって進むのは今です
・恐れて行動できなくならないように
ヨシュアは困難を想定していただろう
困難を想定できていたかと言うと、 イスラエルの民はモーセの手に負えないことが しばしばあったからだ。
時として指導者さえも殺そうとしました。 「モーセにさえ従わなかった民」でしたので、 彼らを導くことは非常に困難であることを、 ヨシュアも身に染みて知っていたことでしょう。
彼はモーセから、 困難の中でも神に頼る姿を学んでいた
モーセは度々神に助けを求めている。Ex. 17:2 民はモーセと争い、「われわれに飲む水を与えよ」と言った。
モーセは彼らに 「あなたがたはなぜ私と争うのか。なぜ主を試みるのか」と 言った。
Ex. 17:3 民はそこで水に渇いた。それで民はモーセに 不平を言った。「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れの ぼったのか。私や子どもたちや家畜を、渇きで死なせるため か。」
モーセが生きていた時に、イスラエルの民はモーセに対して「水が飲みたい、肉が食べたい、敵が強い、など文句が多かった」。
Ex. 17:4 そこで、モーセは主に叫んで言った。「私はこの民を どうすればよいのでしょう。 今にも、彼らは私を石で打ち殺そうとしています。」 とあります。
これはリーダーとしてなかなかできるものではありません。
※神に従い困難に直面する時、 「私はどうすればよいかわからない、 助けてくださいというこの叫びが必要」です。
イスラエルの民にはなんでもできるリーダーは必要なかった。 私たちもスーパークリスチャンになる必要はない。
・私たちも全てのことができなくてよいのです。 「ただ、全てのことにおいて主に頼ることが必要です。」 (あなたに手に負えない事があってもいいのです)
・私たちの力は神の内にある
必要なのは「主に頼り、神の祝福と恵によって治める指導者」 です。
ヨシュアはまた、祈り神に頼るモーセの姿から学びました。
b.「モーセの祈りの姿から、祈りによって神が動かれることを 知っていた」。そして、祈りによって勝利が与えられたことも目 撃していました。
Ex. 17:9 モーセはヨシュアに言った。「男たちを選び、出て行っ てアマレクと戦いなさい。私は明日、神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」
Ex. 17:10 ヨシュアはモーセが言ったとおり にして、アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に 登った。
Ex. 17:11 モーセが手を高く上げているときは、イス ラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になった。 Ex. 17:12 モーセの手が重くなると、彼らは石を取り、それを モーセの足もとに置いた。モーセはその上に腰掛け、アロンとフ ルは、一人はこちらから、一人はあちらから、モーセの手を支 えた。それで彼の両手は日が沈むまで、しっかり上げられてい た。Ex. 17:13 ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で討ち 破った。
「私たちが祈る時、神が働かれる」 「語られた神の言葉に信頼し、祈りをもって歩むことが大切」 なのです。私たちは祈りの力を彼のように知るべきだと思います。
・祈りについて
祈りという行為は不思議です。なぜなら主は私たちの必要を 「私たちが口に出して祈る前からすべてご存知だからです。」(マタイ6:8)
しかし、なぜ祈るのかというと、それは私たちが 「誰に頼っているのかが明確にされる」ため、 そして神が生きていることを知るため、だと思います。
試練にあう時、私たちの心が露わにされ 、 本当は何に頼っていたのかがわかるのです。
時に私たちは神以外に望みを置き、「神の以上に他のものに期待している」ことがあります。
.信仰は現実的で綺麗事ではない
※時として祈っていてもすぐに上手くいかないことがあるかも知 れません。しかし「主が最善をなしてくださる」と信じ続ける ことが必要。
そして、困難の中でもみことばに信頼するときに 「目に見えない、信仰による影響」が周りの人に及ぶのです。 そして、すぐに祈りが答えられない期間こそ、 私たちが変えられていく期間でもあります。
Rom. 5:3 それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それ は、苦難が忍耐を生み出し、Rom. 5:4 忍耐が練られた品性を 生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知って いるからです。Rom. 5:5 この希望は失望に終わることがありま せん。
ヘブル11:6「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません」 私たちの信仰を神は喜んでくださいます。 そして、その信仰を通してお働きになるのです。 ※たとえ小さな信仰であっても、偉大な神が、その信仰を用い てみ技を行います。
ヘブル11:6「神を求める者には大きな祝福の用意がある」 ことを覚えたいと思います。
・能力ではなく信仰
ヨシュアがリーダーに選ばれた理由の一つは、 彼が主に頼る人物であったからだ
「彼には神を信じ困難に立ち向かう信仰」がありました。
民数記13:30-33で、約束の地に12人の斥候が送られましたが、 10人がその地を攻略することに反対しました。しかし、ヨシュ アとカレブの2人は「神に信頼し、戦うと」言いました。
・他の民は、自分達にできる力があるかないか考えたが、 ヨシュアとカレブは自分たちに可能かどうかではなく、 神の約束だから民数記14: 8 「主の御心にかなえばできる、」 信じていたのです。
戦いを避けたことにより、イスラエルの民は40年間荒野をさま ようことになりました。反対に「45年後、ヘブロンの割り当て 地に入るときに85歳になったカレブは当時と同じことを言って います。」
ヨシュア記14章11節「モーセが私を遣わした日のように、今も 壮健です。私の今は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の 出入りにも耐えるのです。」(最も偉大なアナク人アルバを倒 す)
・主が新しい指導書ヨシュアに語られた、みことばの約束 3節の「足の裏で踏む所はことごとく与えている」
jos1:3「あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしが モーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。」
ヨシュアが「約束の地を占領していない段階」で、主が約束の地 を与えていると言うのです。「神がモーセに伝えた時から約束は 完了」しているのてす。
・神のことばに信頼する時に「主がなしとげてくださる」
1:5「あなたの一生の間、だれひとりとして、 あなたの前に立ちはだかる者はいない。 わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよ う。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」
実際ヨシュアがリーダーになってからは 約束の地を攻略しなければなりませんでした。 困難があり、試練があり、葛藤もあった事でしょう。
・覚えておきたいのは、 神の命令(みことば)を受けたらそれで安泰... ではないということです。 何の困難も無い状況はありえません。
「困難のなかでも主とともに生きることが祝福」です。
生きている限り困難は必ずあります。 その都度、その都度、神に頼る必要があります。 時として絶望と思われる様なことも起こりますが、 主の救いは「絶望の後から始まる」ことがあります。
みなさんも知っているように、現実は甘くないでしょう。 ※真っ暗闇の中を、ただひたすら信じるしかない時もあるので す。(キキ)ただ信じて一歩踏み出せば、 神が導いている事がわかるのです。
jos1:7 「ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセ があなたに命じたすべての律法を守り行なえ。これを離れて右 にも左にもそれてはならない。」
※ヨシュアは神から 具体的なカナン攻略の指示が欲しかったと思います。
しかし、神はカナンの攻略を命じたり、 攻略法をここで語るのではなく、
まず「雄々しくあれ!」と語られました。 本当に第一にすべき、主に信頼する(みことばに生きる)こと を守り行いなさいと語っているのです。
・与えられている神の言葉に生きる
jos1:8 「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそ れを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているす べてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのする ことで繁栄し、また栄えることができるからである。」
みことばに信頼と確信を置き続けることが大切です。 私たちは与えられたみことばに対して行動しているでしょうか。 信仰に立って、み言葉に歩んでいるでしょうか。
※すでに与えられているみ言葉を大切にする。 現状や心境に心奪われるのではなく「神のことばに囚われる」 ものでありたいと思います。
・晩年ヨシュアはこう語っています
Josh. 24:14 今、あなたがたは主を恐れ、 誠実と真実をもって主に仕え、あなたがたの先祖たちが、 あの大河の向こうやエジプトで仕えた神々を取り除き、 主に仕えなさい。
Josh. 24:15 主に仕えることが不満なら、 あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々で も、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、 あなたがたが仕えようと思うものを、 今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は主に仕える。」
「誠実と真実を持って主に仕えなさい。」とヨシュアは語って いるが、なぜ、晩年ヨシュアがこう語ることができたのか。
Josh. 23:14 見よ。今日、私は地のすべての人が行く道を行こ うとしている。あなたがたは心を尽くし、いのちを尽くして、知 りなさい。あなたがたの神、主があなたがたについて約束され たすべての良いことは、一つもたがわなかったことを。それ らはみな、あなたがたのために実現し、一つもたがわなかった。
「約束は一つもたがわなかった。」十字架
・それはなによりも 「主ご自身が、『みことばに忠実』」
から言えたのだと思います。
・私たちは神に仕える存在ですが、「神もまた私たちを支え仕え
てくださる方」なのです。(私たちのために戦われる神)
Josh. 23:10 あなたがたは一人で千人を追うことができる。 あなたがたの神、主ご自身が、あなたがたに約束したとおり、 あなたがたのために戦われるからである。
私たちが誠実と真実を持って、み言葉に・主とともに生きる時 に、私たちは主の誠実さを更に見ることができるでしょう。
jos1:9 わたしはあなたに命じたではないか。 強くあれ 。雄々しくあれ 。恐れてはならない。 おののいてはならない。 あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、 あなたとともにあるからである
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