top of page

神の恵みを忘れない

psm103:1わがたましいよ。主をほめたたえよ。

私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

psm103:2わがたましいよ。主をほめたたえよ。

主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

psm103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、

あなたのすべての病をいやし、

psm103:4 あなたのいのちを穴から贖い、

あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

psm103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。

あなたの若さは、わしのように、新しくなる。


・ダビデの晩年

ダビデが晩年、書いたものと言われています。

ダビデが生涯を振り返る時に、神の恵みと、導きで溢れていたことがわかるのです。


ダビデ自身、主がよくしてくださったことを思い起こし、

主のみわざを絶えず、褒め称える者であったかがわかります。

それゆえ、神はダビデを愛し、祝福しました。


psm103:1わがたましいよ。主をほめたたえよ。

私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。


ダビデは、他の誰でもなく、

自分自身に向かってこれを語っています。その必要があったのです。


ダビデの人生は、波乱万丈でした。

兄弟の末っ子として産まれ、父からは羊の番を任され(放置)、

ゴリアテと戦い勝利を収め英雄となり、

王から嫉妬され命を狙われ逃げ続け、亡命し、気狂いのふりをして、


王になってからは不倫の罪を犯し部下を殺害し、

悔い改めてからは息子に命を狙われ、

反逆した息子は部下に殺害され…


貧しさを知っており、裕福な暮らしも知っていました。

王になる前から王になった以降も、様々な試練を通されました。


私たちはこの事を意識をして行わなければ、

主の恵みを簡単に忘れてしまうでしょう。


・私たちに取っての一年

今年、一年もいよいよ終わろうとしています。

今年は、コロナウィルスの影響により、

普段あまり聞かれない言葉が、頻繁に聞こえてきました。


中国、武漢、三密、ロックダウン、緊急事態宣言、自粛、時短、我慢…


今年も、様々なハプニングやチャレンジがあリました。

私たちは、未だコロナウィルスと言う未解決の課題に直面しています。


ネガティブな言葉が頻繁に聞こえてくる一年でしたが、

しかし、この期間が全て、不幸だったか、

我慢だけだったか、というとそうではありません。


目的のない我慢は自分はするつもりはありません。

しかし、神を信じるなら、試練はただそれだけには終わらない。

試練の中にあっても、恵と祝福があるのです。


今年、1年間も様々な恵み、導き、気づきが与えられました、

いくつ覚えているでしょうか。「今、幾つの恵みを思い出せますか?」


だとするならば、主が良くしてくださったことを忘れない、

そして、全力で主を褒め称え続けて行きたい。


・今日伝えたいこと

今日、覚えたいことは主を褒め称え、主の良くしてくださったことに、

心を留め続け、新たに主に期待をするのです。


私たちは私たちが思っている以上に、神からの恵みを忘れやすいのです。

恵みを忘れることは思いの外危険で、主の恵みによって生かされていることを忘れ、

神から離れていきます。


私たちは、主がよくしてくださり、

恵みによって生かされていることを覚え続ける必要があります。


それだけではなく、しっかりと主の良くしてくださった。

恵みを一つひとつ覚え、感謝を捧げて行きましょう。


主を喜ぶことは私たちの力であり、主の恵みを覚えることは、

私たち自身に神の存在を確認させ、神の身前にへりくだらせます。


・主にとって不可能のなことはありません

ダビデのように、主が与えてくださっている、恵みに目を留めてみてください。

そうするなら、今、私たちが抱えている問題は主が知っていてくださっていて、

今まで、主がよくして下さってきたととおりに、取りか使ってくださる確信が増すのです。



試練に会うとき、神が私たちから離れているように感じますが、

本当は、神が私たちを離れたわけではありません。

私たちが神から離れているのです。


いつのまにか、

一人で重荷をしょいこんで疲れてしまい、

心に喜びがなくなってしまったり、

孤独を感じ、落ち込んだり、攻撃敵になったりしてしまいます。

挙げ句の果てには信仰を捨ててしまうことさえあります。


・神から離れることによって受ける影響

もし、私たちが神から離れるならば、

私たちは神視点を失います。


この世の価値観が、私たちの心の基準になるのです。

自分の存在や価値、

現在のやっていることの評価を、

この世の価値観で、測りはじめるのです。


落ち込む三原則

他人と自分を比べる、SNS関係

自分の境遇の不幸に目を止める

自分の足りなさに目を止める


全てが人間中心で、永遠お価値観ではありません。

それを全て満たしたとしても、満ち足りることはないのです。


なぜなら、私たちは上から、注がれる愛と恵みによって、

満ち溢れるほどに満たされるのであって、

人の手で獲得するものでは、満足しないからです。


神に満たされなければ、絶えず満たされるために

さらに必死になっています。


・年末行事

クリスマス・忘年会、一年の最後に脳裏にこびりついている、

嫌な記憶をお酒とともに忘れよう!

と言う会です。


クリスマスで騒いでも、それほど幸せにあるわけでもありません。

忘年会をしたとしても、実際はそれほど嫌なことは忘れることはできません。



酔って騒いだとしても、その場限りの楽しさです。

二次会三次会と続けますが、ただ寂しさを後回しにしているだけなのです。


それらのパーティーには私たちが幸せになる根拠がないのです。

つまり、キリスト(神の命と喜びに)につながっていないのです。


一年の終わりに騒ぎ、忘年会で嫌ことも忘れてしまっては、何のための一年だったのでしょうか。

年末、パーティを連続して何を取り戻したいのでしょうか。

一年間それほどまでに、充実していなかったのでしょうか。


人は嫌な事柄を、強く覚える傾向があるのでしょう。

クリスチャンであっても同じかも知れません。


恵みにとどまるよりも、

私たちは、自分の失敗や、人から言われた言葉や、嫌な態度をよく覚えています。


嫌なことを覚え続け、

自分が祝福されようと必死になり、

都合の悪いことをうやむやにし、

わすれようとする。


また、心の内側では、人が褒められた時に嫉妬し、他人が成功した時に焦り、

人と自分を比べ、置かれた環境に文句を言い、孤独のなかに長時間留まることもあります。


しかし、面白いことに人から受けた仕打ち、(それほどでないことだが)

は良く覚えているのに対して、


自分のミスや、悪い態度には、いつも正論があり、

自分が、正しいと思っています。


挙句のはてには、

あの人はああだ、この人はこうだ、

ここはこうしろ、あそこはこうしろと、

傲慢に裁きます。


そして、

裁くだけにはとどまらず、

こんな自分なんて…などと思い自己憐憫に陥ったり

自分を裁き続けたりもします。


なぜこのようになるのでしょうか。

それは、神の恵みを忘れているからです。


私たち自身が、どれほど大きな恵みと、赦しを受けているのか、忘れてしまているのです。

そして、今まで、神が懇ろによくして下さってきた、数々の良いことを、

忘れ、棚にあげ、自分自身が神になってしまっているのです。


・神が私たちに良くしてくださる理由

Psa. 103:13 父がその子をあわれむように 主は ご自分を恐れる者をあわれまれる。


なぜ神は、そんな私たちに救いを与え、よくしてくださるのでしょうか。

それは、私たちが、神の最高の作品だからです。


神は、私たちが存在が、

この世界にとって最高に良い、

影響をもたらすと確信しているのです。


私たちを、お造りになった方とともに、

歩まなければ、そのような存在になることはできないでしょう。


ダビデのように、主のよくしてくださったことを、

へりくだり、感謝することが必要なのです。

実は祝福されるために時間はかからないのです。


私たちは努めて、

主のよくしてくださった事を、

覚え、思い出し、感謝する必要があります。


・感謝を忘れさせるものを捨てる

私たちが思い悩んでいること、

納得のいかないこと、

もしくは誇っていること、

頑なに握りしめて、

苦い思いをしている事柄を

恵と感謝のうちに手放す必要があるのではないでしょうか。


Psa. 103:15 人 その一生は草のよう。人は咲く。野の花のように。


人はこの世に生を受け、いっときの間、この世界で生きます。

命が長いものも、短いものも、それは全て、神から与えられた時間であり、寿命です。


死で終わる人生は、1番嫌なことで終える人生です。

この世の全てのもの、学歴も、お金も、あらゆる成功も、何一つ持っていくことのできない。

全てを無にするのが、死です。


しかし、

主は私たちに良いことをしてくださった。

最悪な死に打ち勝つ恵みを与えられてくださったのです。


様々な試練があったとしても、結論は永遠の命であり、勝利なのです。

神とともに生きるものは、死んでも生きるのです。

死から、復活して生きる希望があります。


最後は、必ず祝福される。

死は、私たちにとって、復活の前準備でしかないのです。

今、試練の中を通されたとしても、

永遠の祝福がすでに私たちの前に置かれています。

psm103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。

あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

様々な導き、助け、気付きがこの一年与えられたと思います。

その一つひとつが私たちにとって、必要なものであったと確信します。

主がよくしてくださることを、多くの人に伝えていきましょう。

コメント


Featured Posts
Recent Posts
Archive
Search By Tags
Follow Us
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page