十字架と復活
1Cor. 15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、 私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、 私たちの罪のために死なれたこと、 1Cor. 15:4 また、葬られたこと、 また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、 1Cor. 15:5 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
「主は今も生きておられる」 救い主キリストが成し遂げた十字架の救いと 復活について学んでいきたいと思います
キリストの十字架は私たちが受けなければならなかった罪の裁きを、 私たちの身代わりとしてお受けになったのです。
キリストの十字架と復活は、 神と私たちを繋ぐ架け橋です。
復活をとおして、死に打ち勝ち。
人間を支配していた死の束縛から、 私たちを解放するためです。
私たちに永遠の命を与えました。
そして、神とともに生きる命、 恵みと祝福に歩む道をお与えになったのです。
神は罪をお嫌いになります。 なぜなら罪は私たちを苦しめ傷つけ、 そして死をもたらすからです。
※罪の性質は私たちを正しく歩めなくします。 罪は私たちに死をもたらすだけではなく、
罪の性質によって私たちは正しく生きることができないくなりました。
※罪はとても残念なもので、私たちに死と多くの苦しみの原因となっています。
自己中心的な生き方は、 いつも自分が正しいと思いまわりを裁き、 自分はみんなから見捨てられると思い落胆したりします。
そして、人を傷つけたり自分を傷つけていきます。
2ヨハネ2:17「世と世の欲は滅び去ります。 (サタンの管轄、罪に従って生きるなら) しかし、神のみこころを行なう者は、 (十字架を信じて神の御心に生きるものは) いつまでもながらえます。」
サタンと罪・世に所有されていたのです。 (神を信じる前) 世とは罪人の世界です。 罪人の所有者はサタンです。
旧約からの続きですが。 サタンがアダムとエバ、 人を誘惑し、罪に陥れました。
罪を犯した、、 そのため人類は罪に支配されてしまいました。
これは罪人が、 サタンの支配下に入っているのことなのです。
そして、サタンの管轄で、 罪に生きるならその報酬は死なのです。
人類は罪の痛みを抱えていた。 人を諦めていなかった。
パワポ
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、 私たちの主キリスト・イエスにある永遠の命です。ローマ6:23」 と聖書は言っています。 ※これは大変なことで、行き着く先は永遠の死なのです。
私たちは、アダムとエバ以来、 世の価値観から救い出されている歩みが必要。
譬えサタンが経営するららぽーと地獄店 商品は放っておくと全て腐り果て何一つ使い物にならなくなる店だとします。 そして、その一つの商品が皆さんだったとします。
(罪・死に囚われている状態)
・商品購入 そこに一人の客が来て、 使い物にならなくなる前に一つの商品を手にして、 レジに持っていき代金を払います。
十字架により、罪びとの魂は買い取られた
その後、・商品の所有権と所有者が変わるのです。 救いは死の恐れと奴隷状態からの解放で有り、永遠の命への契約変更なのです。
「ヨハネ3:16 神は実にその独り子をお与えになったほどに世を愛された。 それは御子を信じるものが一人として滅びることなく永遠の命を持つためである。」
(聖なる聖なる聖なるお方が/両手を広げ/私を包む /その両手には深い傷跡/私にための/愛のしるし)
*愛する独り子をお与えになることは、 想像を絶する愛なのではないでしょうか。
「※親になって分かったことですが、親は子供がとても大切です。 赤ちゃんは何もできないのですが親にとっては宝もののような存在なのです。 何もできなくても、親にとっては子どもが息をしてくれているだけで尊く思える存在なのです。」
※十字架、主はご自身の命をお捨てになり、私たちを救われた。
主は大切な独り子を、 私たちの罪のために十字架にお掛けになったのです。 なぜ、そのようなことをしたのでしょうか。
「※それは、私たちも同様に神の目には宝物ような存在だからなのです。」 「わたしの目にはあなたは高価で尊いイザヤ43:4」という言葉があります。
*神はご自身の命を捨て、私たちの命を救われました。 ご自身の命より私たちの命を選んでくださったことなのです。 捨てたものよりも得たものの方が価値があると見なしているのです。
神とともに生きたいと願い、 祈るならば応えてくださいます。 十字架は神が罪びとに対して「救われてほしい」と懇願する姿と言えます。
死に打ち勝った、復活の希望
復活の記事は4福音書に書いてあります。 それだけ大事なことなのがわかります。 「マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ」 がそれぞれの視点から的確にキリストの死と復活を記述しています。
ですので、弟子たちの作り話しではないことがわかるはずです。 復活はイエス様の勝利のしるしであって、なくてはならないものです
*キリストは復活を予告していました。 (それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、 長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、 殺され、3日の後によみがえらなければならないと、 弟子たちに教えられ始められたマルコ8:31.9:31.10.33)
キリストは死者の中からよみがえることによって、 「死の力を打ち破る証を立てられたのです。」(ヨハネ20:9)
*復活はイエス様が死と悪魔に打ち勝った証なのです。
※十字架で死なれた主 キリストはその十字架で死なれました。 ヨハネ19:34には「兵士のうちのひとりがイエスの脇腹をやりで突き刺した」
これは何を現しているのかと言うと、 兵士がとどめの一撃を心臓に加えたことがわかりますが、 血と水が流れて来る事は医学的に心臓破裂で亡くなっていたことが分かります。
これは何かと言うと、 仮死状態ではなく確実に死んでいたことがわかるのです。 ですので、復活は仮死状態からの蘇りではありません。
*死に打ち勝ったキリストの復活を信じることは難しいとよく聞きます。
次は復活について、復活後の聖書の記述を見ていきましょう。 聖書を読んでいくことによって復活が信じるに値する出来事であることが分かるでしょう。 そして大切なことは今も生きておられる神を信じることが大切です。
※復活の説明の前に
なぜ、私たちは死からの復活や、永遠の命を信じることが難しいのでしょうか。 「それは、現在は死が当たり前のようになり過ぎているからだと言えます。」
私たちは余りにも死や不幸を受け入れすぎているのではないかと思います。
※永遠の命や復活が真実でないと思われがちですが、 本来死こそ元々ないものだったのです。 人は死ぬ存在ではありませんでした。 私たちは死ぬために生まれてくるのではないのです!
*本来、私たちはこの地上を管理するために造られたのです。
これは私たちの罪の赦しと、 罪からくる報酬の死の束縛からの解放なのです。 キリストの復活は聖書の預言の成就であり、 神が生きて私たちと共におられるという証です。
では、どのような証拠があったのかを見ていきましょう。
1:エマオの途上 エルサレムからエマオまでの11キロほどの道のり ルカ24:13-35 *目は遮られていて、(ἐπιγνῶναι)知ることができなかった
2:トマスの告白(復活完全否定派)釘の跡をみて、指をさしいれ、脇に差し入れたら、
3:大勢の前に現れる 第一コリント15:6 そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。 その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。
4:「主イエスの復活の主を非常に力強く証した。使徒4:33」
※復活後の弟子たちの行動が大きく変わっている。
ペテロはキリストが十字架に架かる前に主を否定しました。 死を恐れていたことが分かります。
また、初代教会の人々も集まって祈っていました。 指導者が死刑になること不名誉のことではないでしょうか。
*そして、初代教会の教会員の墓が見つかっている。 その石棺には名前が付いており以下の初代教会のメンバーの名前が彫られています。
• エルアザル(ラザロ) • ヤイロス • ヨハナン • ヨナタン • ヨセフ
• ユダ • マルタ • ミリアム(マリヤ) • マッテア • メナヘム • サロメ • サッピラ • シメオン • ヨシュア • ザカリヤ
* この墓はオリーブ山にある。 (使徒1:9-12 )復活の主にいち早く会おうとしているのではないか。 その墓には十字架の印が彫られている。
この暮石に記された十字架は、 当時のむごたらし死刑の道具と言うイメージだけではなく、 主の復活の証人として、希望を持って彫られたと言えるのではなないでしょうか。
*復活したイエスは何をしておられるのか。
「主ローマ8:33私たちすべてのために、ご自分の御子さえ惜しまずにしに渡された方が、 どうして御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」
「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、 いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、 私たちのためにとりなしていてくださるのです。ローマ8:34」
・救われた者としての生き方が問われる ・所有権が神に移行した私たちは神に所有され死から解放された自由なものとして、 「神の似姿とは何か」「キリストの香りを放つとは何か」「神の栄光を現すとは何か」 を真剣に考えなければなりません。
ヨハネ20:27信じないものにならないで、信じるものになりなさい 「見よ。私は、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ28:20
あなたには、主がともにおられます。 復活の主とともに行動してください!
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